2000.8.25「ほうむたうん紙に掲載」

第  2  回
                                         須 永  慶

「親父殿のコキンガン」


  誰でも一度は自分の進路・職業について

親とか兄弟、友達、先生といった人に真剣に相談しなくてはならない時がある

と思いますが、

私の場合それは最終的に父親でした。


つまり

「俳優になりたいから兎に角よろしくね」

「ああ良いよ、頑張りなさい」

という、相談というよりも完全な了解を取らないと先行き問題が有るからです。



父は公務員でしたがそんなに堅くなくむしろ酒好きのくだけた感じの人でした。


が、私が高校に入る少し前から

三年間(正確には四年間と後に母から訂正有り)

というもの広島に転勤になっていたせいもあり

親しく話をしたという記憶はそれ程ありません。



昔はどの家庭でも父親は怖いものとして君臨していましたが、

我が親父殿も例外では無く

度々我々兄弟(男三人女一)は『コキンガン』という名の、

サザエのようなげんこつを小さい頃から、特に兄と私が食らっていました。

それはそれは痛いもので

一発で言うことをきいてしまう位の完璧と言って良い程のコキンガンでした。

そのせいかどうか父は年を取って亡くなるまで

子供達みんなから畏怖されていたように思います。



一方母は物静かで、

怒っても怒鳴ったり手を挙げるようなことはありませんでした。


最近は少し愚痴が多くなりましたが・・・。




さて、或る日

たまたま新聞を見ていたら芸能学校の新入生募集の記事が目に留まりました。

その新聞の広告欄には大きく【募集!**芸能学校】と書かれていたんです。

そこには更に、

「さあ、貴方もスターに!」

という宣伝文句と共に当時売り出し中の歌手の名前がこれでもかという感じで、

出身者の代表として書かれていました。


「これだ!」


今までは兎に角俳優になりたいという単なる志望だったのが

一歩具体的なった瞬間でした。

その記事を暫く見つめ興奮して目が熱くなったのを覚えています。

願書の提出、写真の撮影、先生に報告、母親にも・・・・

「さあ、忙しくなってきたぞ。まず願書を取りに行って、学校をこの目で見て・・・・」

親父にもちゃんと言わないと・・・。



そしてある日、とうとうその日がやって来ました。

広島から父が帰ってきたのです。


「 ・ ・ ・ 」 「 ・ ・ ・ 」




父と息子は薄暗い部屋で、沈鬱な空気の中、

しばらく何も言わず只静かな時間が流れていました。

なぜなら願書の提出から担任の先生への連絡等

全ての手続きが終わってからの話し合いだったからです。


もうコキンガンでは言うことを聞かないぞ!


という強い意志も見せていました。 



兎に角こういう具合に私の未来に向けた

バラ色?の新人生が切って落とされたのです。